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東京理科大学工学部第二部建築学科 ブログトップ

東京理科大学二部建築学科の思い出10 [東京理科大学工学部第二部建築学科]

理科大10.jpg
3年ぶりに、二部・学生時代のネタを更新してみます。

イラストは神楽坂の東京理科大学工学部の校舎内廊下。
時代は1980年代・・・・
分煙なんて言葉もなく、教室の廊下は喫煙所と化して、スモークで向こうがかすんで見えます。
灰皿には白い砂利が入っていています。

たばこの火を消す彼は「消火!」と気合いをかけて消しますが、何しろ彼は「消防官」。

夜学らしく「プロ」が混じっています。
自衛官なんてひとも同期入学にいましたが、卒業して20年、みなさん各界で活躍していることでしょう。

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東京理科大学工学部二部建築学科の思い出9 [東京理科大学工学部第二部建築学科]


石川淳建築設計事務所
こちらは入学してすぐのころの教室の様子.
「今年の建築学科の新入生で一級建築士の人は手を挙げてくださ〜い」とのこと.我々の入学時は2名の一級建築士が同期入学で入りました.一人は設計事務所勤務、もう一人は区役所の営繕係の方です.建築のプロも同級生というところが夜学の強みです.設計課題の事でも彼らに聞けば理論だけではなく実際の問題を聞くことができます.
授業の中でも、教授が彼らに教えてもらうような場面もあります.

理大二部入学者の出身配分は、一般入試枠(高校卒業して受験で入る普通のパターン)と工業高校や企業からの推薦枠とで半々の人数です.工業高校出のクラスメイトのなかには、全日本高校製図大会(名称は少々ちがうかもしれませんが)で優勝したなんて経歴の人もいます.さすが製図の課題はダントツ綺麗に書いてきます.年齢も下は18歳から上は50歳代の人まで様々です.

建築の世界は、技が勝負の職人から我々のようなデザイン系の人、審査機関や行政の法規に精通した人など多様な人たちの協力で完成します.今思えば、夜学通いはその準備体験になったと思います.


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東京理科大学工学部二部建築学科の思い出8 [東京理科大学工学部第二部建築学科]


石川淳建築設計事務所
授業は夕方5時30分から9時15分までで、3時限あります.他校の夜学でも始まる時間はおおむね5時半くらいが多いようですが、大学の多くが郊外へ移ってしまい、仕事を終えて、5時半に行くには都心になければ無理があります.その点理科大は非常に便利です.自分も、昼は銀座のゼネコンに建築模型を作りに行っていたので5時半にぎりぎり間に合う感じです.

当時はエアコンもなく、夏などは窓を開けて授業をうけますが、さすが神楽坂.イラストのように、外からは流しの三味線が聞こえてきました.

飲屋街なので、休講時はもちろんのこと、さらには授業を抜け出したりして合間に1パイビールを飲んで又戻る、なんてこともしばしば...


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東京理科大学工学部二部建築学科の思い出7 [東京理科大学工学部第二部建築学科]


石川淳建築設計事務所
ここは、学生ホール下階の廊下.二部の掲示板がある一角です.学期が終わり成績表が配布されるわけですが、この普通の廊下に3×6の会議用テーブルがおかれ、無造作に3学科の成績表が束ねておいてあります.各学生はそこから自分の成績表をちぎって持ち帰る方式です.個人保護法のある現在では到底考えられない大胆な方法で配布されています.
すべての二部学生の成績はここに来れば閲覧できてしまう訳です.昼の学科や他の大学でも当時はそのようなアバウトな方法が普通だったのかは知らないのですが、すごい情報開示です.

ところで、二部の学生の進級方式は、1年から2年に進級するときに期末の進級試験があり、試験に合格しないと再度1年生になります.2年から3年には自動的に進級し、4年になるときに卒業見込みの枠と留年決定の4年とに分かれます.そのあと最終的に卒業できるかどうかの試験やレポートがあります.ちなみに自分が入学した同期で4年間で卒業できた人数は入学時の20〜30%の人たちでした.

まあ、学費が馬鹿安(当時、一部の半額程度の記憶あり)なので、長くいても帳尻があうようになっているのかもしれません.


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東京理科大学工学部二部建築学科の思い出6 [東京理科大学工学部第二部建築学科]


石川淳建築設計事務所
学食の洗面は公立の小中学校のようにシンプルかつ合理的な形.石けんも備わっていました.
すでに20年前の風景ですが、理科大らしい余計なお金のかかっていない設備でした.


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東京理科大学工学部二部建築学科の思い出5 [東京理科大学工学部第二部建築学科]


石川淳建築設計事務所
ここは学生食堂の記憶です.我々が入学したときは、古い校舎の2階にあり、入るとヤカンが並んでいて夏は麦茶などが入れてあり勝手に飲めるようになっていました.かなりシブイ学食ですが「かけそば」1パイ180円と学食の相場としては高めの設定です.我々夜学生が行くころには、多くのメニューは売り切れでした.
昨日紹介した立て看板のスローガン「野田に文化を!神楽坂にキャンパスを!」が効いたのか、翌年から学食がリニューアルされ、天窓のあるカフェテラス風になりました.


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東京理科大学工学部二部建築学科の思い出4 [東京理科大学工学部第二部建築学科]


石川淳建築設計事務所
これは学生生協の入り口付近.
どれかの建物の間の階段の下(記憶によると..現場を再確認していませんが..)をくぐり、パイプやらなにやらの下をくぐって行きます.頭をぶつけそうなところには黄色と黒のゼブラ模様のテープが巻かれています.階段下にはどこか運動クラブの部室があります.他に入り口は建物の中づたいに行けるのですが、メインの入り口はここしかなく幅も2mくらいの通路です.結構な学生数のはずですが、狭い生協で事足りるのは、飯田橋という利便な土地がらにあるのでしょう.近隣の駅のお茶の水駅には書籍街や模型材料も豊富に売っている店が多く、生協にたよらなくても大丈夫なわけです.私も教科書を古本屋で購入し、経費を節約していました.


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東京理科大学工学部二部建築学科の思い出3 [東京理科大学工学部第二部建築学科]


石川淳建築設計事務所
これが、大学内の道に立てかけてあった自治会長選挙のスローガンを書いた看板です.堀向こうの法政などは「成田を包囲せよ!」などと書いてあるのに比べて、きわめてわかりやすい内容です.ちなみに、理科大学はこの当時は神楽坂に工学部と理学部と薬学部、千葉県野田市に理工学部があり、(北海道長万部にも何かの学部ができました)狭い神楽坂と広大な野田のアンバランスさが際だつ学校でした.
我々工学部の学生も、体育と保健の講義は日曜の早朝から野田に行って受けました.夜学なので日曜に全日使って体育の必要単位を一気に取るカリキュラムです.「行くだけですでに体育だ」という感想が二部学生からは上がっていました.


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東京理科大学工学部二部建築学科の思い出2 [東京理科大学工学部第二部建築学科]


石川淳建築設計事務所
神楽坂の登り口のパチンコ屋の角を入ると大学のメインストリートです.おそらく大学敷地ではなく、ただの区道と思われ、幅員は6mほどでしょうか.
この両側に雑居ビルのごとく校舎が建ち並んでいます.左が建築学科の校舎などで、右は物理や化学、数学などの学科と思われます.チェルノブイリの事故の後、放射線測定器を持って歩く学生などもこの校舎で目撃した記憶があります.

なにしろ、全貌は4年間通学していても分からないほど複雑で雑然としていて、とにかく学生生活を楽しめる「キャンパスライフ」は皆無です.
学生ホールなる、談話室が左手の1階(法規上2階のようです)にあり、長いすが少々と自動販売機があります.女子学生が極端に少ないのでむさ苦しいことこの上ありません.
大学によくある政治的スローガンやサークルの立て看板はこの狭い道に少しだけ設置されています.理系専門大学なので、堀の対岸の法政大学などとはまるで対極です.

大学の入学案内に、芝生で談笑する学生の写真が出ていましたが、4年間でその場所を発見できませんでした.(どこかの校舎の屋上らしいです)


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東京理科大学工学部二部建築学科の思い出1 [東京理科大学工学部第二部建築学科]


石川淳建築設計事務所
今日から少しの間、私の母校東京理科大学工学部第二部建築学科の思い出を下手なイラストでご紹介します.
東京の飯田橋にある東京理科大学ですが、大規模な立て替え事業が始まり、我々の通っていた校舎は取り壊される事になりました.そこで、当時の記憶をちょっとだけ書いていきます.イラストは中央線から見た堀越しの理科大学校舎.左の白い高層ビルは残りますが、その他はほぼ取り壊しらしいです.そもそも理科大学は、東大出身の理科系の人たちが、理学の進歩で国家にに貢献する目的で夜間に勉学をする場所をここ神楽坂に作ったのが始まりだとか.(少々記憶違いがあるかもしれません)そういった意味では夜学から始まった大学ということで、二部(夜学)出身の私も、ある意味正当派を自負しても良いのかもしれません.


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