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千歳船橋清掃工場 内部見学コース [千歳船橋清掃工場]

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1990年に早川邦彦建築研究室にて担当した千歳船橋清掃工場 最終回

見学コースに従って進みます。
ゴミを拾うバケットの実物大の絵が貼ってありました。

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窓からゴミを集めるピットを見下ろすと・・

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実物が見える流れ。

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外観デザインのみの仕事でしたが、ハリボテにならないのかと心配でした。
収集車がゴミを下ろしに集まるこの空間は親水公園側のヴォールト屋根が連なっている部分の室内ですが、ちゃんとヴォールト屋根で出来ています。

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ゴミを燃やした熱は発電にも使われていて、小さな火力発電所でもあります。

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制御室。

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制御室を皆さんで覗き込んで終了。

もうすぐ一周忌です。
早川氏をしのびながら見学しました。

石川淳建築設計事務所


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千歳船橋清掃工場 30年前製作の模型と今のロビーの模型 [千歳船橋清掃工場]

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1990年に早川邦彦建築研究室にて担当した千歳船橋清掃工場

写真はロビーに飾ってある先代(2代目)清掃工場の模型です。

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こちらもロビーにある現在(3代目)の工場の完成模型

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そして、こちらは1990年か91年に私が製作して東京都庁に納品した完成予想模型です。
当時、基本構想の成果品は環境調査書と図面(マイクロフィルム化して)と模型と模型写真でした。
ちなみに、この模型写真は建築写真家の北嶋俊治氏が中盤カメラで撮影したものです。

さて、前出のロビーに展示された完成模型との大な差違は・・・・・

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煙突の根元のデザインも少し違いますが、大きな違いは煙突からの配管が引き込まれた先の建物壁。
提案時はガラスになっていて、内部のプラントが見えるようにデザインされていました。

世界遺産のファンネレ工場のオマージュとは思いますが、当時の早川氏の作品、秋田日産コンプレックスや古河のゴルフクラブでも機械室をガラス壁で仕上げて内部を見られました。

結局、騒音問題や予算の縛りもあり、普通のセメント板の外壁に変わったように記憶してます。


模型は、丸の内に都庁があった時代で、第3庁舎に自分の車に積んで持っていきました。
模型を見た清掃局の人達が大変よろこんでくれたのを憶えています。


石川淳建築設計事務所



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千歳船橋清掃工場 見学者ロビー [千歳船橋清掃工場]

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1990年に早川邦彦建築研究室にて担当した千歳船橋清掃工場

2階のデッキから一般見学者のエントランスへ。

当時私が担当したのは外観のみでしたので、インテリアのデザインはその後の担当者殿による仕事です。
基本デザインは早川邦彦建築研究室ですが実施設計と施工は熊谷組さんでしたので、熊谷組さんの意図も入っているかも知れません。

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エントランスから一時集合場所の会議室への廊下。
赤色もそうですが、山吹色に近い黄色は早川氏としては珍しいなあと完成時に思いました。
見学者に子供達が多い事もあるので少々分かりやすい方向にしたのかもしれません。

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トイレのある壁も当時の早川氏の使う色とは少々違いました。
30年前の竣工時に見た時も同じように感じたのを憶えています。
現場監理が出来ない仕事でしたから、色指示と現場で実際使われる色に多少違いが出たのかも知れません。



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千歳船橋清掃工場 見学コースで入場 [千歳船橋清掃工場]

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1990年に早川邦彦建築研究室にて担当した千歳船橋清掃工場

この施設は年に数回一般に公開されていますので、Webから申込みすれば何方でも見学できます。
https://www.union.tokyo23-seisou.lg.jp/kengaku/index.html

都民で無くても大丈夫です。

元設計関係者の立場ですが、普通に見学に申し込んで入りました。

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たしか竣工時には見学させてもらいましたので30年ぶりの入場です。

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見学者の動線は赤い階段壁にそって2階へ。

この赤色は早川氏がゴミを焼く「火」をイメージした、と語っていた記憶があります。
氏は色彩計画が繊細でしたのでこのように「真っ赤」な色を使う事は非常に珍しいです。

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2階デッキ部から受け付けロビーへ進みます。

ウオールト庇の向こうには早川氏設計の区民プールが見えています。

石川淳建築設計事務所


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千歳船橋清掃工場 重層する壁の表現 [千歳船橋清掃工場]

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1990年に早川邦彦建築研究室にて担当した千歳船橋清掃工場

南向きのメインのファサードはバルコニーの面と建物本体の表面、プラントを囲む外壁が重層したファサードデザインです。
氏の代表作の成城の住宅で行った壁の重層デザインの方法の変化球といったところでしょうか。

「ファサード4辺にそれぞれに特徴をもたせる」というような事を当時聞かされたと記憶しています。

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写真中央の水色のボリュームは屋根が門形ですが、基本提案時はウオールト屋根でした。
減額で陸屋根になりました。

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こちらは道路対岸にある区民プールで、これも後に早川邦彦氏が設計しました。
清掃工場の熱源をつかっている温水プールです。

私が辞めた後に正式に始まったプロジェクトです。
デザインのテイストは工場とは全く違い、「水を表現した形」との事でした。


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千歳船橋清掃工場 リサイクルギャラリーという名の回廊 [千歳船橋清掃工場]

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1990年に早川邦彦建築研究室にて担当した千歳船橋清掃工場

建物前の回廊から見上です。
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この回廊は接道面の歩道と並行して長さ150mほどあります。

道路対面の区民プールや公園に面することから、大きな清掃工場と街並みのとの干渉地帯としてデザインされています。

設計当時、早川氏にこの回廊のアイデアを考えろと言われ、試行錯誤したのを憶えています。

格子状の回廊の上に本体と同じヴォールト屋根を乗せる意匠はそれなりに早く決まりましたが、ここにどんな機能を持たせるか、が問題。

キーワードに「リサイクルギャラリー」という言葉を思いつき、ゴミの減量を啓発する情報表示やベンチや公衆トイレ、公衆電話(携帯はまだまだ高値の花でした)を設置する案を提案しましたが、清掃局が管理する上でトイレや公衆電話はNGという事に。

しかし「ギャラリー」という方針は良いという事になり、清掃工場の情報をここで展示するような場所になりました。

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基本設計時は格子の素材は未確定でした。
スチール材をイメージしていましたが、その後手を離れた後にコンクリートの格子が選ばれたようです。

コンクリートだと細いかなと思いましたが、なかなか良い選択です。

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清掃車の出入りする車路の上だけスチールの格子が残りました。
コンクリートだとちょっとスパンが大きすぎ。

石川淳建築設計事務所


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千歳船橋清掃工場 親水公園側 [千歳船橋清掃工場]

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1990年に早川邦彦建築研究室にて担当した千歳船橋清掃工場

建物の東側には親水公園があります。
こちら側の立面にはウオールト屋根の連なる造形が用いられています。

「公園的な形の記号としてウオールト屋根を」といったような事を早川氏から言われたような記憶があります。

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基本設計提案の作業の中では、この工場の周辺の路線バス網や通学路や各公園の所在地などを調べて報告書にまとめました。

インターネットも無い時代ですので、調査と言っても足で廻る事につきる調査でした。
この親水公園にも何度も行きました。

そういえば、この写真のように公園から階段で歩道へ上がる形状だったのを思い出しました。


石川淳建築設計事務所


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千歳船橋清掃工場 迷惑施設からの脱却のための外観デザイン [千歳船橋清掃工場]

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1990年に早川邦彦建築研究室にて担当した千歳船橋清掃工場

1980年代の清掃工場のイメージは「ゴミ焼き場」としての迷惑施設の印象が強く、東京都は清掃工場のイメージ転換のため、3つのプロトタイプを作る事に。
おそらく日本で初めての清掃工場を建築家と作るプロジェクトだったと思われます。

1つは北区にある「北清掃工場」で外観デザインは石山修武氏。
公式Web https://www.union.tokyo23-seisou.lg.jp/kojo/kita/index.html

2つ目は江東区の「有明清掃工場」で外観デザインは小林克弘氏。
公式Web https://www.union.tokyo23-seisou.lg.jp/kojo/ariake/index.html

そして3つ目が「千歳船橋清掃工場」で早川邦彦氏が選ばれました。
公式Web https://www.union.tokyo23-seisou.lg.jp/kojo/chitose/index.html

(※発注順番は着工日からの推測です)

それぞれの建築家の個性が表現されていますが、中でも煙突は全く違うコンセプトでした。
有明は平面が三角形で金属質、上部に時計がついていて、北区はコンクリートの「塔」のように。
そして千歳はミニマル方向のデザインとなりました。

プレゼン後の都の清掃局(現在は23区の清掃事業は組合式ですが当時は都庁直轄事業)のある人の感想が「早川先生のは一番煙突を煙突らしくデザインしていて好きだ」とお褒めの言葉を頂きました。


石川淳建築設計事務所


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千歳船橋清掃工場 煙突デザイン [千歳船橋清掃工場]

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1990年に早川邦彦建築研究室にて担当した千歳船橋清掃工場です。

広角をむりやり補正してますので煙突が歪んでますが、正八角形の平面形状です。

煙突の内部は正副2つの煙突パイプと人力であがる螺旋階段で合計3つの筒が入っています。
2つの煙突パイプはメンテナンス時に切り替えて使います。

さて、早川氏が最初にスケッチした案は3つの管を平行に立てる案でしたが、それらを自立させるのに構造体としてのコンクリート管も3つ必要になることから経済的にボツ案に。

その次に出て来たのがこの8面体に近いスケッチでした。

ちなみに、この千歳船橋の煙突デザインが池袋駅北の清掃工場の煙突にも流用されています。

8面体にする事でじつは電波障害が小さい事が判明。
丸い煙突は反射波を全方位に出しますが、8面体の場合は反射波を8方向に小さく反射するのみ。
ステルス戦闘機と同じ原理です。

まあ、90年当時のテレビはアナログでしたが、いずれデジタルになり電波障害は解決する事がわかっていましたが。
机上障害調査で意外な利点がわかりました。

千歳清掃工場の記事01へ
https://jun-ar.blog.ss-blog.jp/2023-05-27

石川淳建築設計事務所




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千歳船橋清掃工場 [千歳船橋清掃工場]

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写真は東京都世田谷区の千歳船橋にある「千歳清掃工場」です。

私石川淳が1990年に早川邦彦建築研究室にて、社会人になって初めて担当した建築です。

早川邦彦氏は2022年7月に急逝され、帰らぬ人となりました。
そんなこともあり、社会に出て初めて担当させてもらった建築を改めて見に行ってきました。

場所は環状八号線の千歳台の交差点から少し入ったところ。
この写真は千歳台交差点の歩道橋の上から撮っています。

週末はしばらくこの千歳船橋清掃工場の写真をUPして行きます。

石川淳建築設計事務所



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