用賀Aフラット GA JAPAN'92掲載時 [早川邦彦氏の建築]
私の師匠だった建築家の早川邦彦氏の設計による世田谷にある用賀Aフラットの完成前の掲載本。
1/50の全体模型と1/30(1/20だったかな・・)の模型製作を当時担当しました。
スチレンペーパーとアクリル、ポリカーボネート、伊東屋で買ったバラ板紙を使って製作。
当時は設計スタッフというよりも模型製作スタッフといった感じ。
同期入社の人達は学生時代にすでに設計事務所でバイト経験をして、それなりに手が動く人がほとんどでしたが、私の場合は建築模型屋での経験なので、早川氏としても使いずらかったスタッフだと思います。
まあ、模型を外注したら百万単位でかかったでしょうから、その分は役に立ったと思います。
石川淳建築設計事務所
用賀Aフラット 中庭 [早川邦彦氏の建築]
私の師匠だった建築家の早川邦彦氏の設計による世田谷にある用賀Aフラット。
写真は網入りガラス越しの写真で網の陰が入ってましてスミマセン。
早川氏の集合住宅の真骨頂はなんと言っても共用部分の提案。
ブリッジを飛ばすことで各戸の主要出入り口と東京都安全条例の窓先空地の避難路を中庭の巾でエリア分けしています。東京以外の設計者にはピント来ないかも知れませんが、東京での共同住宅の設計は「窓先空地」との戦いです。
窓と手摺りはスチールサッシュで特注製作されていて、担当者のセミ同期氏と先輩の入魂の一作です。
中庭の真ん中にには地下の共用ホールへの楕円平面形のガラスのエントランスがあります。
用途は音楽ホールで、「アーティストが集まって住む」というコンセプトの元作られました。
周囲はガラス壁のみで「マッシュルーム型の柱」で屋根スラヴを支えています。
置かれている椅子とテーブルも竣工時に選んだ物だと思います。
たしか「ペリカン」という椅子です。
石川淳建築設計事務所
用賀Aフラット [早川邦彦氏の建築]
私の師匠だった建築家の早川邦彦氏の設計による世田谷にある用賀Aフラットです。
去年(2022年7月)に氏は急逝しました。
それで、去年の夏に改めて見て歩いた時の写真です。
ご家族のご意向で今年の1月まで死去されたことは伏せていました。
1993年あたり竣工だったと思います。
担当はセミ同期の男性と先輩チーフです。
私も模型を作ったり、基本設計時に手伝いをしたりしておりました。
AフラットのAはアーティストのAで、音楽などのアーティスト向けの共同住宅というコンセプトの建物です。
竣工当時は外壁の青い所はリシン吹きつけかき落とし仕上げのブルーグレーで、白の外壁部分はコンクリート打ち放し。
鏡面の門扉はスチールにブルーグレーのツヤ消し塗装仕上げでした。
石川淳建築設計事務所
早川邦彦氏設計の古河ゴルフリンクスへ 5 [早川邦彦氏の建築]
早川邦彦氏設計の古河市ゴルフリンクスのクラブハウス最終回。
最近の建築界では見当たらないデザイン密度の高さに改めて時代を感じます。
建物の北側には古い煙突があります。
古河市は渡良瀬川をつかった水運が盛んだった事から製鉄や窯業の生産拠点でした。
そのための工場の跡地がこの敷地になったと記憶しています。
このレンガの煙突はその時代の物で、倒れないように補強するフレームを建物のデザインに取り入れています。
ということで我が師匠の早川邦彦氏設計の古河ゴルフリンクスでした。
コロナ禍が始まってから慣例の早川事務所忘年会も中止のため、氏に2年間お会いしていません。
「俺は仕事を取るために営業したこと無いぞ」という早川氏はもう81歳。
今年行われれば、久々にまた説教を聞けるかと思います。
早川邦彦氏設計の古河ゴルフリンクスへ 4 [早川邦彦氏の建築]
早川邦彦氏設計の古河市ゴルフリンクスのクラブハウスつづき、体育館です。
こちらは河川側。
こちらは陸側。ヴォールト屋根が特徴です。
メンテナンス用のキャットウオークと螺旋階段。
長手立面は外壁外に出したV型の構造体をテンション材で支えています。
外壁材は中空セメント成形板です。
この当時の建築家の中でちょっと流行だったと思います。
さて、室内ではスポーツダンスの競技が行われていましたので遠慮して内部写真は撮りませんでした。
早川邦彦氏設計の古河ゴルフリンクスへ 3 [早川邦彦氏の建築]
早川邦彦氏設計の古河市ゴルフリンクスのクラブハウスつづき、1階部分です。
1階は2層吹抜の天井高さがあり、その中に真っ直ぐブリッジが渡り、その左右に色々な形状のブースが並んでいます。
竣工時はブース内はCDの視聴やビデオ閲覧のできる施設だったように思いますが、使われていないようです。
時代は変わって、そのようなサービスはスマホがあれば必要ないですからね・・・
2階に走るブリッジはこの後早川氏が設計した横浜の「みなとみらい駅」に通じるデザインです。
ブリッジ2階から入る4本足のブース。
ロープが張ってあってここから先は立ち入り禁止のようです。
外からガラス越しの写真。
ピラミッド型ブースの上を空調ダクトが貫通したデザイン。
みなとみらい駅は白ベースに青赤黄色が使われましたが、ここでは白とブルーグレーでまとまられています。
早川邦彦氏設計の古河ゴルフリンクスへ 2 [早川邦彦氏の建築]
早川邦彦氏設計の古河市ゴルフリンクスのクラブハウスつづきです。
河川堤防と同じ高さにある2階部分は3階との間がピロティになっています。
ちなみに、2階といっても、この下に2層あるので実は3階の床ですが、見た目は2階です。
このエリアはカートのパーキングですが、機械室がガラス壁で囲われ、内部が見えます。
さらに奧側から見ています。
4階の廊下が上部を横断。左にはガラスの階段室が見切れています。
階段見上げ。
5階のブリッジ部分を見上げ。
さて、90年の就職当時は不勉強で気がつきませんでしたが、建築通は気がついたと思います。
多くのボキャブラリーは2014年に世界遺産になったファンネレ工場(1931年竣工)から用いられていると思います。
ガラスの機械室はこの当時の直前に竣工した秋田日産コンプレックスという複合施設でも用いられていました。
早川邦彦氏設計の古河ゴルフリンクスへ 1 [早川邦彦氏の建築]
連休中は1月に訪れた茨城県古河市のゴルフ場のの倶楽部ハウスの写真を。
設計者は早川邦彦氏で、私の師匠です。竣工はたしか1991年
1990年に就活で面談に行った早川氏のところで、GAの展覧会のチケットをもらいました。
その展覧会の号のGAドキュメント Japane90が下の模型写真
当時日本を代表する建築家が最新作の写真とこれから完成するプロジェクトの模型写真を載せていまして、これに一目惚れして即、就職しました。
さて、古河市を訪れたのは2022年1月ですが、同月に行った故竹山氏設計の晴海の客船ターミナル。
実は同じ新建築の号に載っています。
そこで思い出して、25年ぶりくらいで訪れました。
前に来たときはフィルムカメラの時代なので、撮影ネガは押入で行方不明。
撮影に再度行かねばと思い、行ってきました。
建築の内容は市営のゴルフリンクスの倶楽部ハウスと地域体育館、レストラン、カラオケ想定の個室群です。
古河市を流れる渡良瀬川の河川敷がゴルフリンクスになっていて、堤防の内側に建物が建っています。
この丸型の大きな開口は建物2階にあり、そこから延びたブリッジは堤防の上の高さ。
自走式のゴルフカートがここからコースへ出発します。
河川敷のスケールに合わせた大きな壁を建てるのが外観のコンセプト。
師匠 早川邦彦氏の住宅を久々に [早川邦彦氏の建築]
写真は師匠の建築家早川邦彦氏の代表作「成城交差点の家」「成城バス停前の家」「成城BETWEEN」の3連住宅です。
成城を通る事がありまして、少し遠回りをして見て行きました。
とても綺麗に維持されていて、お施主様の愛情を感じます。
石川淳建築設計事務所
師匠 早川邦彦氏デザインのみなとみらい駅 [早川邦彦氏の建築]
横浜みなとみらいのマークイズにて建築家31人展を開催中ですが、その直下の駅は「みなとみらい駅」です。
ここは私の師匠、建築家早川邦彦氏のデザインした駅です。
自分が退社したあとに設計された施設ですので、単純に見学者として見ています。
ベンチのデザインも「早川先生らしいなあ」と。
駅にしては珍しく、ホームから上層の商業施設へ吹抜が上がっています。
縦穴区画はシャッターで行っているようです。
配管を見せる手法は「秋田日産コンプレックス」で取り入れた方法で、その後私も担当した世田谷の千歳船橋清掃工場で試みたりしていたデザインです。
ホームの上の階の広場。
ブリッジは私も在籍当時設計中だった「古河スポーツフォーラム」を思い出させます。
マークイズ入り口。
今日(9月15日)はここマークイズ4階の東京ガスショールームで行われている建築家31人展最終日です。模型展、是非見に来てください。
http://kenchikuka31.net
(注・建築家31人展と早川邦彦建築研究室とは関係ありません)